金子哲雄さんの終活

2015/03/13

先日、SMAPの中居さんが司会をつとめた、「中居正広の「終活」って何だ?僕はこうして死にたい」という番組を拝見いたしました。
私どもも相続や遺言に関わる仕事をしておる為、大変興味深く拝見いたしました。

そこで、流通ジャーナリストとして活躍されました金子哲雄さんの終活についてご紹介しておりました。
41歳という若さでこの世を去ってしまった金子さん。一人残してしまう奥様を想い、最後の最後まで自身の死と死後について向き合った「終活」について、ご紹介したいと思います。
(引用元:http://matome.naver.jp/odai/2134944931303748601)

「最期まで仕事を一生懸命やりたい」という本人の強い希望から、病身を押して、亡くなる直前まで仕事を続けていた。亡くなる前日1日も雑誌の電話取材を自宅で受けていたという。9月28日までにツイッターも更新していた。
 
「人生における早期リタイヤ制度を利用させていただいた」
肺カルチノイドで亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんの通夜が営まれた。生前に自ら斎場を手配して、遺影や祭壇に飾る花もわざわざ選んでいた。墓の準備も怠りなかった。
参列者に向けた会葬礼状には、ユーモアを交えた文章を用意。病魔と闘いながらも人生のエンディングに向け、完璧に近い「終活」を進めていた
 
 
金子哲雄さんの「完璧終活」に感動  通夜の仕出し料理まで自ら厳選
 
祭壇に飾られた遺影は2012年4月に撮影されたもので、オレンジのフレームの眼鏡をかけた本人が優しくほほ笑む。飾られたバラの中にも、オレンジのものが見えた。この色はお気に入りだという。参列者にふるまわれた仕出しの料理も、にぎりずしからオードブル、煮物とこれまた金子さんが決めていた。
 
死後の「第二の現場」から「おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい」とあり、流通ジャーナリストとしてエネルギッシュに活動していた金子さんらしさが垣間見られる。
 
「にぎやかにしてほしい」との思いから、控室には50インチのモニターテレビが置かれ、これまで自身が出演したバラエティー番組がノンストップで流されていた。
 
墓は、東京タワーの目と鼻の先にある場所に決めていた。その理由として礼状に、「東京タワーを見て自分の姿を思い出してもらえればうれしい」との思いを込めた。戒名まで既に手配済みで、家族や周囲の人に対する細やかな心遣いが、テレビの情報番組で絶賛されていた。
 
 
参列者に金子さんが用意していた手紙が配られた。以下、手紙全文
 
このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。申し訳ございません。
 
 もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる「魔法のドア」があるとうかがっております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。
 
 今回、ご縁がありまして東京タワーの足元、心光院さまが次の拠点となりました。「何か、面白いネタがないかな?」と思われましたら、チャンネルや周波数を東京タワー方面に合わせ、金子の姿を思い出していただけましたら幸いです。
 
 このたび、葬儀を執り行うにあたりまして葬儀社のセレモニーみやざき 宮崎美津子さまには生前より真摯(しんし)に相談にのって頂きました。また、自分の歩んできた道とゆかりのある港区東麻布を終(つい)の住処とすることをお許しいただきました、浄土宗 心光院 御住職 戸松 義晴先生には公私にわたり、死生観などのアドバイスをちょうだいしました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。
 
 最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りしております。41年間、お世話になり、ありがとうございました。
 
 急ぎ、書面にて御礼まで。
 
 平成24年10月1日
 
流通ジャーナリスト 金子哲雄

 

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